【夏目かをる 恋愛小説】眠れない夜 第二章~今日子の場合(8)

【夏目かをる 恋愛小説】眠れない夜 第二章~今日子の場合(8)

第二章、WEBメディアの編集長としてキャリアを積む独身・今日子は年下の彼氏・坂口健太との順調な恋愛を楽しんでいた。そんな時、5年前に別れた江口貴彦から手紙が届く。健太の浮気現場を見てしまい動揺した今日子は交通事故にあい病院に搬送されてしまう。そこで自分と同じような辛い体験をした女性に出会う。


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 午前6時になると、一斉に室内灯がともる。病室も廊下も、それまでひっそりとしていた院内が明るくなると、徐々に息づいたような活気を帯びてくる。病院の朝は5年前と変わらない。今朝は昨日とは違って、病室の窓に雨の滴が流れ落ちていた。窓ガラスに激しくあたる滴、また滴。今は本降りだが、午前中には雨がやんで、午後から快晴になるという。 
ベッドから起き上がると、少し頭痛がした。こめかみに手をあてながら、お腹の赤ちゃんを事故で流産した5年前のことを、就寝する直前まで考えていたせいかもしれないと思った。自分が編集長を務めている女性サイトで「安眠」をテーマにした特集を組んだ時に、眠る前にホットミルクを飲む、リラクゼーション音楽を聴く、その日にあった楽しいことを思い出す、など、就寝前のリラックス方法を提案したにも関わらず、就寝前にしてはいけないワースト1の「過去の辛い出来事を思い出す」を自ら実行してしまった。今日子は苦笑いをした。

「ゆっくり眠れましたか」 

 ナースジャケットのポケットにウォッチを付けている看護師がカーテンを開けた。

「あまり」と言いかけると、看護師は体温計を今日子に渡した。それを受け取りながら、「早く退院して、仕事をしたいです」と窮屈なレンタルパジャマの袖をたくし上げた。すると「まず体温を測ってくださいね」と看護師が体温測定を促した。平熱で特に問題なし、血圧異常なし。

「検査結果はドクターから聞いてくださいね。退院はそれからです」。

看護師はカーテンを閉めてから、別の患者のベッドに移動した。 
時刻は7時少し前だった。ドクターの回診時間はまだ先だ。今日子が小さなクローゼットの中からスマホを取り出して会社のパソコンにアクセスしていると、廊下からざわざわとノイズが聞こえてきた。カーテンを開けると、看護助手が、お茶が入っている大きなやかんを持ってきた。

「せっかくですが、マイカップがなくて」

と年配で小柄の看護助手に謝罪すると「ちょっと待って」とやかんを抱えながら病室を出ていった。カーテン越しから見える廊下では、患者の朝食が入っているトラックが待機していた。朝食は7時半ぐらいから始まるが、入院中はいつも空腹を感じることがなかった。

「ちょうどいいのがあったわよ」

カーテンが開くと、看護助手がプラスチックのカップを持って入ってきた。ベッドに備え付の折り畳みの小さなテーブルにカップを置いてお茶を注ぐと、熱い湯気が立ち上る。湯気を見ているうちに、ほっこりと心が温まった。

「今朝のお茶は少し熱いから、さましてから飲んでね」

 にこやかな看護助手の笑顔が眩しかった。5年前と似ている。あの時の光景が目の前に広がっていた。看護師は忙しそうに体温を測り、看護助手はカップに熱いお茶を注ぎながら、励ましてくれた。人が人を支える風景を、目の当たりに見せてくれるのが病院だが、あの時の今日子は、人が人を支えてくれるという思いやりすら、気づけなかった。

「熱いお茶が好きだから、このまま飲みますね」

 一口すするとほうじ茶の香りがふわっと広がった。

「いつまで入院するの」と看護助手。

「まだわからないです。早く退院したいですけど」

「あなたはきっとすぐに退院できるわ。もし重症だったら重症患者さんが入る病室にいるはずだもの」

「重症患者の病室が、あるんですか」

「だいたい、ナースステーションの近くよ」

 ナースステーションの近く……5年前に屋上で泣きじゃくる女性の背中をさすり続けた今日子は、耳たぶにほくろのある看護師に見つかり、その日の夜にナースステーションの近くの病室に替えさせられたことを思い出した。背中をさすった女性が退院したことを翌日知った今日子は、看護師に「あの人は病気なんかじゃない」と訴えると、看護師は「病気ではないけど、心が弱くなりすぎることがあるのよ。だから治療も必要なの」と淡々と語る。女性が心療内科に転院したのは、明らかだった。
 看護師は、今日子の目をまっすぐに見た。
「あなたがあの女性を救ったのよ。あなたがいなければ、あの人は…」
 口をつぐんだまま、唇が少し震えていた。事情を深く知っている看護師が、一人の女として、子供を亡くした女性の心情を察しているのだろう。

「あの時、屋上に上っていったのはどうしてかしら」
今日子は5年前のことを振り返る。屋上へと続く階段を昇っていた自分は、死を選んだつもりはなかった。突発的に湧き上がってきた激情に引っ張られてしまっていたのだ。
 江口が望まなかった子ども。でも私はお腹の子を愛していた。江口が拒否しても、産んで育てようと決意した矢先の事故だった。流産したことは、最大の不幸だったが、自ら命を落とすという選択を選ぶことは、まずなかったと思う。それなのに、あの日、屋上へと突き進んでいったのは、どうしてだろう。目に見えない力に突き動かされたのだろう。そして子供を亡くした女性が思いつめ号泣している時に今日子に出会った。お互いをいたわるように体をさすり合いながら、生きる意味を見つけようとしたのだ。
「命とは、不思議なものですね。生きたいと願うと、それにふさわしい人に会える」
 5年前に、耳たぶにほくろのある看護師の前で、「だから死なない、死ねない」と呪文のような言葉を口にすると、看護師は目に涙を溜めていった。
 生きていく希望が、あの時、確かに生まれたのだ。

 ドクターから退院の許可が下りると、今日子は大急ぎで荷物をまとめて支払い窓口に駆け込んだ。待っている時間がじれったくて、病院の出口付近に移動して、編集部の向井葵に電話をかけた。

「検査入院終了。退院したわ」

「おめでとうございます」

「さっき仕事のメールをチェックしたんだけど、いつもよりメールの本数が少ないわね」

「編集長、実は大変なことが起こってしまって」

 向井葵の声が途端にトーンダウンした。

「どうしたの。何があったの」

「実は……昨日、私以外の編集スタッフが突然全員辞めたんです」

「ええ!どうして…」

 今日子はスマホを強く握った。向井葵の話を聞いていると、めまいがしてきた。だがやがて「何とかしなくては」という闘志が今日子の体にみなぎってきたのだった。


作家 夏目かをる



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この記事のライター

ワーキングウーマン2万人以上の取材をもとに、恋愛、婚活、結婚をテーマにコラム、ルポ、小説など幅広く活動中。

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